将棋の発祥は、これまでギリシャ起源説、エジプ卜起源説など様々な説が唱えられてきました。しかし、近年の研究によれば、将棋の起源はBC200年~BC300年の時期に古代インドにおいて遊ばれたチャトランガという四人制のさいころ将棋であるといlわれております。
このチャトランガが西流してチェスに、東流して中国将棋や日本将棋に姿を変え、世界各国に広まったと考えられておリます。
それでは、将棋は日本へいつごろ、どこから伝えられたのでしょうか?
一説には、奈良時代の遺唐使であった吉備真備(きびのまきび)が中国から持ち帰ったという説があリます。
しかし、最近の研究では、タイ将棋との親近性と中国将棋の駒名比較から、インド-東南アジア-中国を経て、日本に伝わったとする説が有力になリつつあリます。
次に、日本ではいつ頃から将棋が遊ぼれるようになったのでしょうか。
古い文献や出土した駒の年代から推測しますと、平安時代の十一世紀初めには貴族の間で将棋が遊ばれていたことがわかります。
しかし、平安~鎌倉~室町時代にかけて遊ばれた将棋は、現在の将棋の型(盤面九×九、駒数四十枚〉とは違い、大将棋(盤面十五×十五、駒数一九二枚〉、中将棋 (盤面十二 ×十二、駒数九十二枚〉、大々将棋 (盤面十七×十七、一九二枚)、摩訶大々将棋〈盤面十九×十九、一九二枚)、泰将棋〈盤面二十五×二十五、三五四枚〉と呼ばれる将棋などであり、現在のような型になったのは十六世紀後半以降のようです。
江戸時代に入ると、幕府には将棋所が設けられ、八代将軍吉宗の頃からは、毎年十一月十七日に御城将棋が開かれるなど将棋は盛んに遊ばれました。
(社)日本将棋連盟では、この御城将棋にちなんで、昭和五十年より、十一月十七日を「将棋の日」と制定するなど、江戸時代の将棋の伝統は、現在の将棋の隆盛へとつながっているのです。
天童市商工観光課発行『天童と将棋駒』より
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